法務研究科(法科大学院) 法務専攻
阿部 浩己 教授
Abe Kohki

研究分野 国際法、国際人権法

生年/1958年
血液型/O型
出身地/伊豆大島
家族構成/妻、娘2人
趣味/散策
尊敬する人/日常を淡々と生きている人
愛読書/辺見庸の評論、四方田犬彦のエッセイ、広瀬和生の落語家評などなど
休日の過ごし方/休日は特にありません
好きな映画/ドキュメンタリー
好きな音楽/サーカス、井上陽水
好きなTV番組/相棒
好きな国/カナダ(「寛容」の精神を大切にする多民族社会を創ろうとしているから)

法務研究科(法科大学院) 法務専攻 阿部浩己 教授

これからの国際法は、
貧しい国や社会的弱者の側から見直す必要があります。

国際法が生み出す貧困もある

国際社会の法である“国際法”は、グローバル化時代を牽引する最も先端的な法領域の一つです。国際法は、多様な民族・文化・文明が並存する地球社会にあって、人々が平和に生きることを可能にするツールとなり、いったん紛争が起きた場合にその解決の方向を指し示す鍵となるものです。戦争・平和の問題から領土問題、海洋秩序、宇宙空間、地球環境、経済、人権など、ありとあらゆるテーマについてグローバルな角度から思考する態度を養ってくれるのが国際法に他なりません。しかし実際には、法というのは人間を幸せにしてくれる以上に、人間を不幸せにする力を持つものでもあります。現に、日本の中で、そして世界各地で広がる無数の貧困と悲惨は、国際法それ自体によってもたらされるものでもあるのです。

たとえば国際法のルールでは、誰でも自由に物を売ってお金を稼ぐことができます。けれど工業製品を作る力や技術はアメリカやヨーロッパ、日本などに集中してきたため、アジアやアフリカの貧しい国はどれだけ頑張っても国際競争ではなかなか勝てません。国際法のルール自体が、豊かな国は豊かなまま、貧しい国は貧しいままという固定化を生んできたのです。なぜなら国際法そのものを作ってきたのがヨーロッパやアメリカや日本などの富裕国の人々だからです。

人権を守ってもらえない人々が現実には大勢いる

私は国際法の中でも特に人権を中心に研究してきました。人権というのは人々を幸せにするためのものだと、多くの人は思っているでしょう。もちろん私も基本的にそう思っていますが、実際には人権法で守られる範囲からこぼれ落ちている人も世界中には大勢います。それは前述と同じ理由で、国際法として人権条約を作る際に想定される“権利主体”のモデルが、基本的に“西洋の健康な成人男性”だったからです。その結果、国際人権法と言っておきながら、発展途上国の人々や女性、子供たちが守られていないことも多い。人権を守るという、一見正しいことの影で、不利益が制度的に生み出されてきたのです。

私は、社会的にとりわけ弱い立場に置かれている側の視点に寄り添いながら、国際法を、より公正な法に変革させるためにはどうすればよいのかを考えています。国際法学のあり方そのものを問い直す作業とともに、難民や無国籍者、障害者、女性、戦後補償など実践的な課題を切り口にして思索を重ねています。人権がすべての人に幸せをもたらすためには、それに携わる法律家や研究者が豊かな人間の側に立つだけではだめで、むしろ貧しさを強いられる人々や社会的に弱い立場に置かれた側に立って、今ある条約やルールを作り直して行かなければいけません。

先進国でありながらアジアの一員でもある日本は、そこでアメリカやヨーロッパとは違う視点を持つことができます。だからこそ日本に暮らす私たちは、国際法というものを本来の意味で世界中の人たちの役に立つようにしていくのに適した立場なのではないかと、考えています。

教養を身に付けることで、私たちは「自由」になれる

私の授業では、日常を生きる私たち一人ひとりにとって国際法はどのような意味を持つのか、という視点と、長い人類の歴史のなかで国際法はどのような意義を持ってきたのか、という視点を特に大切にしています。私たちの将来と人間社会の行方は、過去からどう学ぶかにかかっていると言ってよい。法曹養成に特化した法科大学院の授業にも、私はこの基本的な視点を持って臨んでいます。

人権について学ぶ際、それを自分には関係のない別次元のものと捉える人も少なくないでしょう。けれど人間というのは、どこかで必ず弱い立場に置かれるもの。たとえば男性は女性との関係においては強い立場にいるかもしれませんが、年をとれば若い人との関係において弱い立場になっていきます。人間は誰もが必ず弱い部分を抱えているのです。きちんと想像力を持って考えれば、世の中には人権を必要としている人が隣りにいて、それに自分は気づいていないだけかもしれない。そして、自分だってそれを必要とする立場にいることに気づくでしょう。

こうした想像力は「教養」と言い換えることもできます。教養とは、自分がどのような存在なのか、社会や世界とどう関わっているのかを考え・感じる力と言ってよいものです。どのような学問分野であろうと、あるいは、どのような職業に就こうと、そのベースにはこうした意味での教養が必要になるはずです。教養を身に付けようとすると、自分の愚かさや無知に気づかされます。それにより傲慢さが減り、人間関係も良くなっていく。さらに社会についての理解も深まるため、自分なりの判断基準で行動できるようになる。すなわち教養を身に付けることで、私たちは「自由」になることができるのです。大学での学びは自由になるためにこそあるといっても過言でないと思っています。

近著『国際法の暴力を超えて』(岩波書店)
著書のなかの近著『国際法の暴力を超えて』(岩波書店)は、これまで書いてきた論文を集大成したもの

招待してくれたので韓国の法務大臣を訪ねた際にもらった記念のメダル
友人が韓国の国家人権委員会に勤めていた2005年。招待してくれたので韓国の法務大臣を訪ねた際にもらった記念のメダル