法学部 法律学科
大越 義久 教授
Okoshi Yoshihisa

研究分野 刑法

生年/1949年
出身地/神奈川県川崎市
子供の頃の夢/忘れてしまった
尊敬する人/内田文昭先生
趣味/真空管アンプの設計と製作
休日の過ごし方/音楽を聴いたり、思索をめぐらしたりして、過ごします
好きな音楽/ジャズ
好きなTV番組/「マツコ&有吉の怒り新党」

法学部 法律学科 大越義久 教授

変化を乗り越える力は知識ではなく、考える力から生まれるもの。
自分で考え、判断する。すなわち「自律」がなにより大切。

理論と現場の乖離(カイリ)で泣きをみるのは弱者。それを見過ごしてはいけない

私はもともと大学で法学を教えていたのですが、その後、思い立って判事になり、大阪高等裁判所と地方裁判所であわせて3年間、裁判官の仕事をしていました。予想していたことですが、実際に現場に立ってみてよくわかったのは、学者が教えている理論と現実とは大きく乖離しているということ。学者というのは抽象レベルでものを考えるので、外国の事例や歴史的な事例なども判断材料になる。けれど裁判官は、目の前にいる被告人との関係でものごとを考えます。この被告人にとって、どのような刑罰を与えるのが妥当なのか。そもそも被告人は本当に犯罪を犯したのかどうか、それらを法律の範囲内で考えなければいけない。このように限界のある世界で具体的な決断を下す裁判官に対して、学者はあくまでも自由に広い世界のなかで泳げるわけです。いわば裁判官は大企業の社員で、学者は個人経営者のような違いでしょうか。

裁判官は自信を持って判断しているわけではなくて、不安定な中で、よりよい判断をしようと模索しながら、結果的には権力を行使している。一方、学者は離れたところからそれを見て、時には批判し、時には評価する。どちらが正しくてどちらが間違っているということではなくて、まったく違うものを見てしまっているんですね。本来、それらが同じ方向に向かう両輪のような役割を果たすべきなのですが、そういう関係にはなっていないのが現状です。そこである意味、泣きを見るのは被告人たちであり、そういったものを押し付けられている現場の職員たちでもある。すなわち、声を上げられない人たちが負担を強いられているという面が実際にあるんです。我々は、そこを見過ごしてはいけないと思いますね。

出所してからどう生きるか。それも含めての「刑事司法システム」

私自身の研究テーマは、刑事法を社会科学の下に位置づけること。現在の刑事法というのは、あくまでも言葉の解釈の範囲に留まっています。悪く言えば言葉遊びのような感じで、まったく「科学」ではないんです。たとえば刑事司法システムには「社会的事実」というものが出てきますが、刑事法にはそれが出てこない。もちろん解釈を学ぶことも大切ですが、それは本丸ではないだろうと私は思います。現実の刑事司法システムをベースにおき、あるべき姿を対比させて関連を見る、あるいは方向性を探っていくこと、それが「社会科学」というものです。

そのため、担当している「刑法序説」では、犯罪と刑罰について、その現実の姿を刑事司法システム(犯罪→捜査機関による捜査→起訴→裁判→判決の確定→刑務所→出所)の下で示し、その問題点について考えていきます。刑事司法システムというのは裁判で終わりじゃない。刑務所に入ってそこで何をして、出所してからどう生きていくか。本来、そこまで考えなければいけないんです。裁判官をやっていると刑務所へ視察に行くこともあるし、実際の矯正の現場に立ち会うこともあって、普通には見えないものが見えるんですね。それが、教えるときには役に立っています。刑法というものに対して皆さんが抱いているイメージがあると思うけれど、それは実態とはだいぶ乖離していて実際はこうなんだよ、というところから入って、こんなにギャップがあるけれど、そこを埋めるためにはどうすればいいだろう、そのためにはどんな手段があるだろう。そういうことを考えてもらいたいと思っています。刑務所に入っている人たちのなかには、もちろん根っからの悪人もいますが、不器用な人も多いんです。社会で生きていくために、うまく、ずるく立ち回れない人。そういう人の更生に関しては、もっと普通の人たちが普通の感覚で手を貸せるようになるといいですね。

多面的にものを見ること。それが自分のタメになる

皆さんもそうだと思いますが、多くの人たちは権威を持っている機関 ―― たとえば警察や裁判所などは、基本的に間違ったことはしないという前提で見ています。でもね、決してそんなことはない。そういうふうに簡単に権威に寄り掛からず、きちんと自分の目で見て、頭で考えてから判断を下しなさいと学生にはよく言っています。最高裁だから正義ばかりを貫いているという目で見てはいけないよ、と(笑)。同じように、法律がそうなっているからそれは正しい、というのも実はまったく筋の通った説明ではありません。人間というのは不完全なもので、その人間が作った法律だって不完全だし、運用の仕方だって不完全なんですから。法律がそうだからそれは正義だという理論は成立しないんです。だからこそ、自分で物を考えて分析して判断を下すことが大切。いわば自律する、ということですね。それが若い人には大事なことで、そのためには多面的にものを見なければいけません。それが自分のためになるんです。

最近、若い人に限らず「省エネthinking」をする人が増えているような気がします。たとえばABCDの四択で、答えは◯かXしかない。根気よく考えないで、選択するだけ。でも、ものごとに結論はいくつもあり得るんです。むしろ大切なのは「なぜそう考えるか」ということ。大学では、そういう考え方を教えていかなければいけません。私も授業では、まずその問題に関する材料を全て見せて、そこから自分で考えてもらう方法を取っています。自分の考えを押し付けるのでは、高校時代と同じく先生から知識をもらうだけの授業になってしまいますから。もちろん専門知識を得ることも大切ですが、それ以上に考える力を育むことの方が重要。なぜなら変化を乗り越える力は知識ではなく、考える力から生まれるものだからです。

論理的思考力というのは意外と単純で、「why」と「because」の組み合わせ。なぜこうなるんだろう→これこれこういう理由からだ。なぜ皆はこう思うんだろう→これこれこういう理由だからだ。というように「why」と「because」を繰り返せば、それが論理的につながっていく。そこで得た考える力は、一生使えます。知識はどんどん新しくしていかなければいけないけれど、考える力は一生使えますからね。

本棚に飾ってある「レレレのおじさん」人形
裁判官は「レレレのおじさん」というのが私の持論。目の前に来たものをただ掃くだけで、その元を絶つことはできない。それでも掃けば匂いは薄くなるから、掃き続ける。そんな思いを込め、本棚に飾ってある「レレレのおじさん」人形

ドクター論文をまとめた最初の著書『共犯の処罰根拠』(青林書院新社)
ドクター論文をまとめた最初の著書『共犯の処罰根拠』(青林書院新社)。日本の刑法では共犯についての条文が何か条かあり、それを巡っていろいろな問題が出てくる。ごちゃごちゃに議論されていたそれらを処罰根拠≠ニいう視点で整理したもの。もう一冊は最新の著書で、放送大学の教材『現代の犯罪と刑罰』(NHK出版)