法学部 法律学科
小森田 秋夫 教授
Komorida Akio

研究分野 比較法学、基礎法学

生年/1946年
出身地/東京
家族構成/妻、娘2人、息子1人、孫2人
趣味/読書、音楽鑑賞
子供の頃の夢/「怖い夢」ばかり見ていた
尊敬する人/ワーク・ライフ・バランスを実現し、仕事も仕事以外の生活も充実させている人
愛読書/松本清張、夏樹静子などの社会派推理小説
休日の過ごし方/平日にやり残した雑多なことをしている
好きな映画/「モスクワは涙を信じない」
好きな音楽/モーツァルト、ショパン、五輪真弓の曲
好きなTV番組/「ダーウィンが来た!」など動物もの
好きな著名人/小野文恵
好きな食べ物/回転寿司、アップルパイ

法学部 法律学科 小森田秋夫 准教授

「わかりやすさ」を過度に求めないこと。
その先には「複雑さ」があることを忘れずに。

外国の法を知ることで、日本の法を相対化できる

私は「比較法」という講義を担当しています。外国の法との比較を通じて、日本の現在の法がどのようにして形成され、どのような特徴をもち、どのような問題点を抱えているかについて考える、一言でいえば所与のものとして当然視するのではなく、“相対化”する目を養うことを目的としています。

例をあげましょう。裁判員制度は日本独自の制度と言われます。世界には、法律の素人である市民が判断者として裁判に参加する仕組みとして、アメリカなどの陪審制とドイツなどの参審制とがあります。裁判員制度は、裁判員が職業裁判官といっしょに事実認定にもとづく有罪・無罪の決定と有罪の場合の刑罰の決定、その両方を行なうという点で参審制に属するものですが、裁判員は事件ごとに選ばれ、その事件だけを担当するという点では、陪審制の考え方を取り入れています。日本独自といっても、国際比較という目で見ることによって、その特徴や課題がはっきりしてくるのです。ちなみに、少し前にスタートした韓国の「国民参与裁判」は、陪審制の考え方を土台にしながら、いくつかの修正を加えたものです。

なぜこのような制度が作られたのでしょうか? 裁判員制度には賛否の意見や問題点の指摘がありましたが、それらについてどのように考えたらよいのでしょうか? 制度がスタートした今、これらの意見が当たっているのかどうかを実際の経験を踏まえて検証し、今後に生かす必要があると思います。その際、外国の経験について知っておくことは、視野を拡げるうえで有益です。

「比較法T」では、<法>を<比較>するとはどういうことか、何が問題になるのかをさまざまな角度から考え、「比較法U」では、司法制度を題材に、より具体的に考えていくことにしています。

裁判員制度―わかりやすい裁判?

先日、横浜地裁で裁判員裁判を傍聴したんですが、そこで感じたのは、検察官側がしっかりと組織的に対応しているということでした。たとえば小さなことですが、検察側は冒頭陳述から被害者のことを一貫して「Aさん」「Bさん」と呼んでいました。被害者への敬意ということもあるでしょうが、裁判員への心証も考えてのことでしょう。ところが弁護側は、最初のうちは「A」「B」と呼び捨てにしていた。いつものやり方なんでしょうね。途中で気がついて「さん」づけにしていましたが、こういう小さな部分を見ても、検察側は構えがきっちりしています。

ところで、裁判員制度では裁判員に「わかりやすい」裁判ということが重視されています。確かにそのような努力がうかがわれました。が、ちょっと待ってほしい。わかりやすいというのは、簡略化されるということでもあります。これまで日本の裁判は、犯行の経過はもちろん動機までも細かく調べて調書を積み上げ、事実認定を行う「精密司法」という考え方で行われてきました。これでは短時間に結論を出さなければならない裁判員裁判には対応できないということで、事件のポイントに的を絞った「核心司法」がめざされています。これには確かに一理あります。しかし、例えば、適切な刑罰は何かを考えるためには動機をしっかり理解したい、けれどもその辺の理解が深まらないうちに終わってしまった、という感想も裁判員の経験者から出ているようですね。

「わかりやすさ」のなかに潜む危険

学生の皆さんには、「わかりやすい」ことだけを過度に重視しないでほしいと思います。最近は、わかりやすい授業はいい授業だ、わかりやすい本はいい本だっていうように、なにごとも「わかりやすさ」が第一のように思われています。もちろんそれにも一理あるし、授業はわかりやすいに越したことはありません。が、人間や社会はそう単純なものではない。物事にはいろいろな側面があるし、人にはいろいろな考え方がある。「わかりやすい」ということは、ある意味でそうした複雑な面を切り捨てて単純化しているということなんです。あくまでもこれは一般論であって、もう少し突っ込んで考えるとこういう問題も出てくるしこういう側面もあるというように、複雑なものを理解する第一歩としての「わかりやすさ」ならばいいんですが、先に進む前に「わかってしまう」ことがあるんですね。複雑なものに迫るための第一歩のはずなのに、そこで全部わかったつもりになってしまう。そういう危険が、「わかりやすさ」のなかには含まれていることを忘れないでほしい。「わかりやすい」ものが本当に「よい」ものかどうか、よく考えてみる必要があると思います。

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蒐集している世界のマスクあれこれ。ポーランドやブラジル、中国など旅先で思いついては買ってきたもの。研究室の壁に飾ってある

専門分野であるロシアやポーランドの法律に関する著書たち
専門分野であるロシアやポーランドの法律に関する著書たち。『ソビエト裁判紀行』(ナウカ/1992年)は1980年から81年にかけてソ連に留学していた際の裁判傍聴記録。雑誌連載をまとめたもので、その後、1988年にナホトカなどで傍聴した裁判や、東京での記録なども収められている

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「ロシア・東欧法研究のページ」