外国語学部 英語英文学科
小松 雅彦 准教授
Komatsu Masahiko

研究分野 言語学、音響音声学

生年/1963年
血液型/A型
出身地/高知県高知市
家族構成/高知に母親、同居人は妻
趣味/通信販売の買い物[←奥さんの指摘]、ごろごろすること:腰と肩のマッサージをされるとなおよい。昔は、バイク、バンド、カラオケ、(作曲)、(太極拳)
子供の頃の夢/[大人になって朝ゆっくり起きること、父が新聞記者で、出勤が遅かった]
尊敬する人/父親[←奥さんの指摘]
愛読書/なし。強いて言えば新聞、健康雑誌
休日の過ごし方/ごろごろ。たまった仕事をするか、奥さんのプラン任せ
好きな映画/(「ローマの休日」「ゴースト/ニューヨークの幻」)
好きな音楽/Mr. Big、[本当は、Led Zeppelin, Deep Purple, Yngwie Malmsteen等]
好きなTV番組/「北の国から」「ダーウィンが来た」
好きな著名人/(森高千里)
好きな食べ物/うなぎ、くじら、[コロッケ]
好きな国/カナダ

※上記はすべて、奥さんが書いたもの。ただし( )は奥さんが挙げたものを本人が括弧付きにした。[ ]は本人が記述したもの

外国語学部 英語英文学科 小松雅彦 准教授

強い目的意識は、その副作用として視野を狭めることも。
若いうちは何にでも興味を持って学んでみよう。

音の並び方の文法について学ぶのが「音韻論」

私が担当している「音声学Ⅰ、Ⅱ」の授業は、音声学と音韻論の入門的な内容です。「音声学」というのは、人間がどのように音を出し、それがどのように伝わって、どう聞いているのか、という音そのものの仕組みについての学問。どちらかといえば物理や生物寄りの分野ですね。たとえば英語の「R」と「L」の発音の違いを頭で理解するのが音声学。もちろん、実際にそれが発音できるようになるためには、繰り返して発音するトレーニングが必要ですが、その仕組みを知っているだけでも、新しい言語を身に付けるときに、ひとつハードルは低くなると思います。

一方の「音韻論」というのは、それぞれの言語にはどのような音があり、どのように並んでいるのかを解き明かしていくもの。音の文法ともいえる分野です。たとえば英語の「strike」という言葉は、「str」という子音だけが最初に三つ並びます。これは日本語では発音できないので、それぞれの子音に母音を足して「ストライク」という発音になります。反対に言葉の最後が「エ」で終る発音は英語にはありません。ですから日本語の「酒 -sake」は「サキィ」となりますし、フランス語の「cafe」は日本語では「カフェ」とそのまま発音できますが、英語では「キャフェイ」という発音になるのです。このように、どの音の後にどの音が来るかということは、言語によって決まっています。その音の並び方の文法を学ぶのが「音韻論」です。本学では他に類似の科目がないので、授業ではできるだけ幅広い分野を網羅しようと心がけています。

自分の頭で考えるためには、まずは知識が必要である

日本の大学というのは一般的に「自分の頭で考えること」を重視しています。私自身、大学の教員になりたての頃は、学生たちに自由に学んでもらう形の授業を行っていました。けれどその後、約2年間留学したカナダの大学で、ここは自分の頭で考えるための知識と技術を習得するところなんだな、という印象を受けたのです。そこで私が実感したのは「考えることも技術である」ということでした。

自分の頭で自由に物事を考えるためには、その下地となる知識や技術が必要です。このふたつのバランスが、大学での学びには大切。まずは「知識や技術」を身に付け、そこから「自分の頭で考えること」をスタートさせて欲しい。欲張りなのかもしれませんが、私は学生の皆さんにそういう学び方をして欲しいと思っています。

また、大学というのは社会へ出る最後の準備段階です。ですからそこでは学生というよりも、社会人としての振る舞いを期待します。指示されて勉強したり、注意されて行動を変えるのではなく、自ら考えて行動してください。それもまた「自分の頭で考えること」に他なりません。現在の日本の大学はどちらかといえば学生を子供扱いする方向に進んでいるので、それに流されないように!

目標はなくても、人生は自分の望む方向へと進むもの

私は幼い頃、曾祖母や祖母など明治生まれの人たちに囲まれて育ちました。彼らの人生論は「人間には“分”というものがあり、その置かれた状況下でコツコツと生きていくべきである」というもの。その影響を受けたせいか「目標を持って努力すれば夢は叶う!」とか「目的意識を持って勉強すべし」という考え方には違和感を持ってしまうのです。

目標を持ち、それに向かって頑張るというのは素晴らしいことかもしれません。けれどその副作用として、視野を狭めてしまう面もあると思います。勉強熱心な学生のなかには、自分に必要な勉強とそうでないものをきっぱり分けてしまう人もいます。けれど、あまりに若いうちから「これは自分には必要ないもの」と取捨選択して道を狭めてしまうのは、決して幸せなことではないように私は思います。ちなみに私自身は小学校時代、算数が得意でしたが、中学・高校と数学で落ちこぼれ、大学は数学の必要ない人文系(外国語学部)に進みました。ところが音響音声学に携わるようになり、30歳を過ぎて三角関数の勉強をする羽目に。しかも結果的に英語の教員になったわけですから、大学の時にもっと英語を勉強しておくんだった! と後悔の日々です。皆さんも、来るものは拒まずの姿勢で、目の前に与えられたものは何でもひと通り学んでみてください。それがいつかどこかで役に立ったり、新しい世界の扉を開くきっかけになるかもしれません。

人生というのは、明確な目標を持たなくても、ゆっくりとではありますが自分の指向性の方に進んでいくもの。自身の経験を通して、そう私は思っています。

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