工学部 建築学科
石田 敏明 教授
Ishida Toshiaki

研究分野 建築デザイン、コミュニティ空間

生年/1950年
出身地/広島県福山市生まれ
血液型/O型
家族構成/夫婦+子供2人
子供の頃の夢/古代遺跡の発掘調査
尊敬する人/信念があってチャレンジングな人
愛読書/美術や歴史に根ざしたロマンのある小説が好きです
趣味/映画アート鑑賞、小さな土着的な置物や雑貨などの蒐集、時計など
休日の過ごし方/日曜大工
好きな映画/小津安二郎の映画
好きな音楽/ジャズ系だけどあまりこだわりはない
好きなTV番組/「世界ふれあい街歩き」「ブラタモリ」
好きな著名人/葛飾北斎
好きな食べ物/麺類
好きな国/アジアの国々

工学部 建築学科 石田 敏明 教授

建築というのは、人と人との
あるいは家と街との関係性をデザインするもの。

身体感覚としてのスケール感を身につけよう

「建築デザイン輪講I」では、修学院離宮の「窮邃亭」(きゅうすいてい)と現代建築の「コールハウス」を事例として取り上げ、そこに使われている「九間」(ここのま)の空間デザインについて学びます。九間というのは三間×三間のことで、一間は1.82メートルですから、5.46メートル四方になります。日本ではそれが伝統的に居心地の良い寸法とされています。ちなみに一間は尺貫法でいうと六尺で、それが日本の建築においてはひとつのモジュールとして使われています。

建築に使われる寸法は、もともとは人間の身体寸法に関係するものでした。たとえばフィートは足の大きさ、インチは親指の幅に由来すると言われていますし、日本で使われる尺や寸なども、もともとは身体寸法によって決められています。ですから日本の尺・寸と欧米のフィート・インチはほぼ等しい長さなのです。それに対してメートルというのは地球の円周の長さから規定されたもので、身体性とは関係のない寸法です。私たちは普段国際法であるメートル法を使いますし、畳敷きの部屋がある家に住んでいる人もそれほど多くないかもしれませんが、部屋の広さに関しては、何畳とか何坪というサイズで感覚的に理解しますよね。身体性に基づく寸法体系というのは、そんな風に自然と身についているものです。

建築というのは人間のためにあるものですから、学習するにあたっては人間の身体の寸法を把握することが大切です。トイレにしてもキッチンにしても、建築の寸法は「人間が空間を使う」ことを想定して決められていて、そこを外すと建築として非常に居心地が悪い空間になってしまいます。ですから私は最初の授業で、まずはコンベックスという携帯用の巻尺を買うように言っています。これにはこれくらいの寸法が必要だと学生たちに教えても、それはただの数字なので記憶に残っていきません。寸法の体系というのは、自分で測って認識することからしか身につかないものです。そういう経験を繰り返すことで、実際に建築物を作るときにも、身体感覚から外れた居心地が悪い空間にはならないのです。

建築物もその街に参加している

私自身は、まちの活性化に関する研究やコミュニティづくり、集住体(住まいに関すること)の研究などを主な専門分野としています。担当する講義「建築デザインI」では、人の集まり方やパブリックとプライベートの関係性を考慮した、居住者がコミュニケートできる住まいを中心にする建築の設計演習を、「建築デザインII」では具体的な場所を提示して、その場所の地形や環境を読み取りながら、公共的な建築の計画や設計演習を行います。

たとえば「二人で暮らす家」をデザインするときにも、部屋は二つにするのか、一つがいいのか。ワンルームにしても、どこにいても相手が見える真っ直ぐな形にするのか、お互いの姿が見えない空間を持つL字型にするのか。そこで暮らす人の関係性が家の形によって変わってきます。建築設計というのは、人と人との関係をデザインするということでもあるのです。

そういった数人のコミュニケーションが、広がっていくことでコミュニティという社会の単位になります。ですからある場所に建物を建てるにあたっては、周囲の環境や他の家との関係性を読み解いて、それをデザインに起こしていく必要があります。学生にも「この場所に家を建てるとしたら」という課題を出すときには、敷地だけを見るのではなく、必ずその周囲50メートル四方くらいの範囲は歩きまわるように指導しています。

住宅というのは私有財産でありながら、その街に参加している存在でもあります。デザインをするうえで、その地域のカラーや場所性といったものも読み解いていかないと、何かそれだけが浮き上がった存在になり、街並みが崩れてしまう。もちろん建築にはその場所での存在感も必要ですが、野原の真ん中に建てるものと、密集した街の中に建てるものとでは当然違った形になる。そういった意識はとても大切で、それもまた「関係性」をデザインするということなのです。

以前、群馬県前橋市で手がけたまちづくりに関するプロジェクトに、商店街の空きビル(雑居ビル)を学生向けシェアハウスに改修した事例があります。そのビルは商店街の中心にあって、恵まれた立地にも関わらず、十数年間空きビルでした。調査をしたところ、その辺りには若い世代の人がほとんど歩いていなかったのです。そこで1階を店舗に、2〜3階を学生専用のシェアハウスにしたところ、若い世代の人が戻ってきて、お店も少し遅い時間まで営業をしてみたり、商店街全体が活性化していきました。このように、一つの試みや建築が街の姿を変えるきっかけになることもあるのです。

建築は無重力を「感じ」させることができる

建築物にはまず初めに「なんのために建てるのか」という目的があります。けれど、その機能さえ満たせば快適な空間になるかというと決してそんなことはありません。機能から外れた、ただぼーっとできるような空間が実は重要だったりもします。たとえば窓の外に緑があって、日の射しかたで室内が緑色に染まることがある。日常生活のなかで、ふとそういう自然との関わりに気づく。私は建築家として、そのようなことを心がけています。

よく言うのですが、実際に無重力状態をつくろうとすれば、大掛かりなカプセルなどが必要になりますが、似たような感覚状態を建築によってつくれます。物理的には浮いていなくても、その空間に入ると気持ちがふわっと軽くなるとか、体が一瞬浮いたように感じられるとか。そういう感覚を空間によってつくりだすのです。たとえば天井の高さが4メートル以上になると、人間は天井の存在をほとんど意識しなくなります。人間の目というのは意外といい加減なので、それをうまく利用することで、空間を広くも狭くも、固くも柔らかくも感じさせることができる。建築はそういう実体空間をつくることが可能なのです。

今後はますますヴァーチャルリアリティ(仮想現実)の世界が広がっていくでしょう。しかし、建築は人間の「現実の生活」を支えるものですから、実際にその場所でその空間を体感しなければなりません。感性豊かな学生時代に、できる限り多くの建築を見て回り、自身の感覚で空間を体感してほしいと思います。

雑誌と書籍
「建築文化」2000年5月号(彰国社)は「石田敏明1984-2000」というタイトルで自身が手がけた建築が特集されたモノグラフ。「まちを生きる家」(インデックスコミュニケーションズ)は、子どもたちにわかりやすく建築を学んでもらうという目的で、自邸をモデルにして書いた本で、絵と文の両方を手がけた

置物
土着的な置物を集めるのが好きで、旅行先などで買ってきては家に飾っている