経済学部 経済学科
田島 佳也 教授
Tajima Yoshiya

研究分野 日本経済史、日本漁業史

生年/内緒
出身地/北海道小樽市
血液型/内緒
趣味/旅行、時々の映画
子供の頃の夢/サラリーマンか、医者
尊敬する人/両親
愛読書/歴史小説。作者問わず
休日の過ごし方/地方調査が多いですが、居る時はゴロ寝や買い物
好きな映画/これといって無し。ただ、どちらかといえばドキュメンタリーが好き
好きなTV番組/最近の中国、韓国テレビドラマ
好きな食べ物/嫌いな食べ物がありますが、何にでも興味があるので、どこの国の食べ物でも、何でも食べます

経済学部 経済学科 田島佳也教授

まずは何かに興味を持ち追求してみる・・・
そこから視野が広がります。

商人の歴史を追って北の海に

私の専門は日本経済史、特に商業史、漁業史ですが、若い頃から特別にこの分野に強い興味を持っていたわけではなく、大学のゼミでは西洋経済史を専攻していました。2年間学んだのですが、嫌いではないものの語学が苦手で、卒業の年になっても論文をまとめきれず、何かやり残したような、なんとも言えない気持ちを抱えていました。そこで意を決して決まっていた就職を取り消して大学院に進み、「日本のことが分からないのでは不十分なのでは?」という思いから、大学院では日本経済史を研究し始めました。

日本の資本主義発達史のなかで、大きな役割を担っていたのが近世期の商人です。私はそこに興味を持ちいろいろと調べているうちに、彼らが最も赤裸々な姿で活動したのが北海道であり、漁業(特にニシンや鮭)にも進出して漁獲物で商売をしていたことを知り、北の海に目を向けました。私は北海道の出身で、実家は海苔・昆布、煮干しなど乾物屋を営んでいたので、その影響も多少はあったのかも知れません。ともかく、当時の本土の商人たちは金儲けの手段として北の海の幸に着目し、アイヌの人々を強制労働的に駆り立て商売をしたのです。私は栖原角兵衛など“場所請負人”と言われる商人たちを追って北の海の漁業史を調べてきましたが、その研究の中でアイヌ民族と和人との不合理な交易の実態や確執の問題など、さまざまな史実も見えてき、商業資本のあり様も少しずつ分かってきました。学問の枝葉も広がり、またそれをたどっていくうちに自らの視野も広がった気がします。

学問とは“問い”を発して知ること

最初私は「将来は研究者になろう」とは少しも思っていませんでした。大学院受験の面接の時、将来の道を聞かれて「まずは論文が書けるように指導してください」と言った覚えがあります。先行きの不安を思い煩い挫折しかけながら、目の前にある興味対象を追いかけ続けていたら今ここに居る、というのが正直なところで、決して平坦ではありませんでしたが、幸運だったと思います。だから、教育者としては失格で、同じ道の先輩という心持ちがいまだに強く、その気持ちで学生たちに接しています。

そんな私が皆さんに願うことは、どんな分野のことでも良いから自分の興味を持てることを見つけ、それを追求して欲しいということ。知りたいことを自分の力で調べていくと視野が広がり、またそこで新しい疑問が生まれます。そしてまたそれを追求する・・・その繰り返しの中でいつしか自分の考えに輪郭ができてくるので、あとはそれをまとめれば自分の課題の成果になります。私たち大学教員は、その試行錯誤の過程を共有して共に考え、まとめ作業の手伝いをする人間で、いわばお産婆さんのようなもの。学生個々人にとって、かけがえのない知の財産を生むために力を尽くして援助します。教員にできることはそれだけですから。

学問とは“問い”を発して知り、そこから学び、学んだことを自分の血肉にすることです。単なる学問のための学問ではなく、また利己主義に陥ることを避けて社会に対する鋭い問題意識を涵養することではないか、と思います。物事を探究する心を常に忘れず、実のある大学生活を送って欲しい、と願っています。

中国の土産屋で見つけた飾り物
中国へ漁村調査に通っていた時に、地元の土産屋で見つけた飾り物。なんということのない物だけど、自分の研究の象徴的なものだったので購入した

江差桧山屏風の写真コピー
北海道・江差浜でニシン漁と加工に勤しむ人々を描いた江差桧山屏風の写真コピー。自筆のメモは、そこに描かれていることを文献で検証した跡